随想
2015年10月22日
大村先生と私
今から20年以上前、友人と2人でゴルフに行った。相模原カントリークラブである。
我々2人の組に1人私共の存じ上げない方が一緒にプレーしたいといわれる。勿論大歓迎。
しかしその方は細身のくせによく飛ばす。スコアもとても良い。私はどこかの中小企業の社長かなと思って、プレーを続けたが、途中で思わず聞いてしまった。
「私、大村は教授生活や研究生活を送っている」と言われる。少しびっくりした。
学者とは思えない気さくで明るい方であったので。
それからお付合いが始まって、色々なことを教えていただいた。
その研究の重要性をおぼろげながら判った私は、大村先生を応援するよう科学技術庁にお願いした。私のことをたてて、一回数千万円の研究費を用意してくれましたが、それっきりで色々お願いしたが一回でおしまいになりました。
北里大学は官学ではないので冷たいのかなと思っていた。
その後先生は霞ヶ関カントリーのメンバーになられた。一緒にプレーする機会を得たが、帰りに近くに病院を建設したので、見に来てくれないかとおっしゃるのでしたが、私も用事があって、帰りを急いでいた。「いい絵もたくさん飾ってあるのですよ」と言われ、今にして思うと、良い機会を逃したと思う。
フィラリアのお話も随分詳しくお話を聞いた。
名門川奈カントリークラブの近くで採取した土から見つかったのですよと言っておられた。
私の母が北里病院に入院した時、病院に行って母の事を大村先生にお願いしたことがあったのですが、それと時期を同じくして、竹下登先生も北里に入院しておられた。
大村先生は私に「帰りにお見舞いされますか」と訊ねられたのですが、不意に訪れるのも失礼だと思い、そのまま竹下先生とお目にかかることもできなかった。