トップページ > 経歴一覧 > 私の歩んで来た道(13)

経歴

2016年1月7日

私の歩んで来た道(13)

私の入った学校は厳しかった。多分イギリス風だったのだろう。
まず、学校の規則、寮の規則は文章でキチンとあった。学校にはOBラインがあってそこを越えてはならないとされていた。体罰があった。
一番軽い罪は、規則を何回か書いて提出する。むち打ちの刑もあった。運動靴でお尻をぶたれる。
もうひとつは「ケーン」という木製の鞭でお尻を打たれる。罪状によって、1発・3発・6発になっていた。
私もケーンで打たれたことがあったが、お尻に3本のアザができて寝ると痛い。自分のやったことの対価である。但しそうやたらには体罰があるわけではない。

学校に入る時に体罰を受け入れるという親の約束があり、打たれる前には(a)君はこれこれのことをした認めるか(b)そのことはこういう罰に値する。それを受け入れるかというやりとりがある。
また体罰が加えられるのは限られていて、校長・教頭・寮長だけであった。

日本で問題になっているのは、一般の先生が生徒に対して行う制裁で、きちんと事情を聞いて、納得ずくで体罰を受け入れるシステムとは随分違う。最近のイギリスではケーンによる制裁はなくなったと聞いている。
私にとってこういうことは、驚きでもなんでもなかった。小学校の担任には、よく往復ピンタをくらったし、モップでなぐられたこともあった。
母も厳しいところがあって、子供の頃泣きベソをかくと「男なら、くちびるをかみしめて泣くのをやめなさい」と何度も叱られた。
私もこの学校で2回体罰をくらった。1回は先生が黒板にものを書いている時、友達とふざけていて、変なタイミングで消しゴムを先生の方に投げてしまった。教頭先生の授業であったので、鞭打ちを1回くらった。もう1回は寮生活も3年目になって、8人部屋で消燈のあと、皆でタバコを吸った。これを見回りにこられた寮長に見つかり、本当は8人全員が吸っていたのであるが、私がモタモタしているうちに現行犯で私一人が捕まってしまった。スコット先生の部屋に来なさいと言われ、次のように言われた。

「君はタバコを吸っていたのは事実か。」
「はい、そうです。」
「君の他にタバコを吸っていたのは誰だ。」
「吸っていたのは私一人です。」
「本当に君一人か」
「そうです、私一人です。」

先生は他にも吸っている生徒がいたことなど十分知っておられたと思うが、私がもし告げ口のように白状したら、私の評価は下がったであろう。自分一人で責任をとること、告げ口をしないこと、これらは重要な美徳なのである。
その件があった以降、先生は私にとてもやさしい先生となった。もし告げ口をしていたら私の評価はがた落ちしたであろう。この件は鞭打ち3発。お尻に三本のアザが出来て何日も痛かった。

学校はヘリオポリスの街のはずれにあり、運動場の向こうは砂漠であった。学校には、サッカー場・ホッケー場・テニスコートスカッシュコート等が良く整備されていて、皆スポーツを楽しんでいた。
寮は男子、女子と分けられていて女子寮の方には姉がいた。外出の許可は月2回で、この時とばかり家で美味しいものを食べた。門限もやかましかった。まるで軍隊に入ったようなものであった。
朝起きると、ベットをキチンとする。寮長が見回りにくる。8人の生徒達はベットのわきに直立不動の姿勢をとり、自分の引き出しは開けておかなければいけなかった。ベットメーキングではシーツの折り方までやかましく教育された。
但しうれしかったのは土曜日の夕方。映画が上映された。次の週は3時間位のダンスパーティ。これの繰り返しであった。
女子寮の女の子が全員来る。キチンと英語で申し込んでダンスを踊る。ゼントルマンの教育だったのかもしれない。

経歴一覧へ