経歴
2016年1月14日
私の歩んで来た道(18)
カイロ滞在も3年を越した頃、父はエジプトからスペインへ大使としての任地が変わりました。
一家はスペインに移らなければならないことになったのですが、私の場合は学期の途中であり、一人カイロに残ることになりました。
学期末には大事なオクスフォード大学の資格試験も控えていたので、父母と別れて数ケ月間寮に留まることになりました。
オクスフォード大学の資格試験、私は4科目、英語。仏語。算数、理科に合格しました。
試験を終えた私は学校に別れを告げ、また第2の故郷というべき、エジプトに別れを告げ、一人でカイロからマドリッドへ向かったのでした。途中ローマに立ち寄り、当時バチカンの大使をされていた鶴岡さんの御一家に面倒をみていただきました。
鶴岡大使夫人が「馨君、やはりイタリ―に来た以上、フローレンス(フィレンチェ)に行くべきだ」と誘われ、私は一人でローマ駅から列車に乗ってフローレンスを目指しました。
17歳でしかなかった私、いま思うとよくそんな勇気があったなと思いますが、フローレンスに降り立ったのです。
日本人の旅行者などはいない時代、フローレンスの歴史的な所を全部見て回りました。驚きました。圧倒されました。
何しろ歴史の教科書に載っているものの実物がそこにあるのです。ローマの見学も素晴らしかったのですが、フローレンスという所の魅力にすっかり取り憑かれました。
数日間の滞在でしたが、その時間を全てあの街が持っている歴史的価値を理解するために使ったのです。
そしてローマに帰り、空路マドリッド父母の所に向かったのです。