経歴
2016年1月21日
私の歩んで来た道(21)
ロンドンの下宿で天井を見ながら考えていた。
自分はもう18歳だ。
自分の日本での同級生は高校3年で大学受験を迎えている。
このままロンドンに留まって、あてのない学業を続けていくのか。
父親もいずれ外務省を辞めることになる。
その時は子供が留学することには経済的に無理がくる。
自分の家が商店とか中小企業とかであればそれを継承するということはあっても、何も持たない中産階級である。
自分一人の腕でやっていかなければならない。
そうだロンドンで学業を続けることは自分の将来にとって決してプラスにはならない、日本に帰ろう。
いつの間にか自分の心はその方向で決まってしまった。
そう決めたもうひとつの背景は私の弟が日本に帰った。
そして麻布中学に途中入学を認めてもらっている。
私も東京に戻って麻布高校に戻してもらえないだろうか。
そこでスペインマドリッドの両親に手紙か電話かは覚えていないが自分の希望を伝えた。
両親は「お前がそう考えるなら直ぐ日本に帰りなさい。」
1956年の12月から1月の話である。
東京に帰ると麻布高校に復学が認められた。
多分いろいろな方が私に判らないうちに学校側にお願いして下さったのであろう。
東京に着いた私は、以前住んでいた六本木の家に落ち着いた。2か月で卒業できないかと学校側にお願いしたが、4年近くも留学をしたんだから。一学年下のクラスに入れということになった。
高校2年を2ヶ月ほどやって、自分の同級生が卒業していくのを見ていた。
高校3年になった。学業の遅れはどうにもならない。
英語と数学は何とかなったが、国語は漢字も古文も漢文も本当に何も判らないと言って良いほどだった。
「つれづれなるままに、ひぐらし・・・」などという文章は、一字一句意味を教えてもらわないと意味が判らないのである。
これから2年間の「奮闘」が始まるのである。