トップページ > 経歴一覧 > 私の歩んで来た道(46)

経歴

2016年7月14日

私の歩んで来た道(46)

2年生議員になると政府のポストが回ってくる。すなわち政務次官人事である。今は政務次官というものはなくなって、副大臣という呼称になりさらにその下に政務官というものが議員から選ばれる。役所は大臣のお守りをするのが大変で、おまけに政務次官のお守りは大変だと思う。

2年生のある時、内閣改造があって、それに伴って政務次官の人事も行われることになった。派閥を通じて自分の希望を提出しておいたが、競争は激しくなかなか若手にはポストが回ってこない。政務次官の人事案は党の幹事長室で原案を作ることになっていた。呼ばれたので幹事長室に行くと、当時の副幹事長の松永光氏が「与謝野君すまないな、君の希望の所は取れなかったよ。あと空いているのは農林政務次官だけだ。」と言われる。「都会出身の君が農林というわけにはいかないよね」そこで私は「誰もやる人がいないのですか」とお尋ねすると「今年は農産物の自由化を抱えているので、地方の議員が誰もやりたがらない」と言われる。
そこで私は「誰もやる人がいないなら自分がやりたいと思います」と申し上げると、「都会の君がこんなポストをやってどうするのか」私はこう答えた「東京は消費地です。お蕎麦・米他の食品、みんな東京にも関係していますから、私はこのポストをやってみたいと思います」それで話は終わって、我が中曽根派は与謝野馨を農林政務次官に送りこむことが決まった。ところが翌日、松永光副幹事長からもう一度呼び出しを受けた。「君が農林政務次官をやると知った東京の某議員が与謝野が希望しているのなら、何か良い事があるに違いないと言って騒いだ。」「与謝野君どうする」と言われたので「やりたい方がいるならどうぞ」と言って引き上げて来た。

私は人事で争いはしたくなかった。しかし党内のポストをめぐる闘いは相当なものがある。
それは地元で宣伝に使えるという側面はあるが、やはりポストにつくと情報は沢山入ってくるし、仕事もできるようになる。
私はこの人事を知らん顔をしてあきらめ、次の機会を待つ事にした。
このことがあって松永光先生からはその後ずっと、可愛がっていただいた。

経歴一覧へ