トップページ > 経歴一覧 > 私の歩んで来た道(49)

経歴

2016年8月4日

私の歩んで来た道(49)

困ったことには、利春・和子の一人娘「恵美子」さんは、自分は父の裁判が終わるまでお嫁に行かないという。やはり女性もある年齢までに結婚しないと、出産など苦労することになり、我々第三者は口を出す事は出来ない。
そこで私は友人に相談することにした。友人とは堀紘一さんのことである。その頃著名なボストングループ(コンサルタント会社)の社長をしていた。彼の会社に誰か居ないかな、という極めて唐突なお願いであった。
「判った。東大を出た優秀な男がいる。」この男に話をしようと言われる。世の中こんなにトントン拍子でいくのか、びっくりするほどのスピードでこの結婚話は進んでいった。
二ヶ月後には結納をする事となった。質素にやるということで、皆の意見は一致していた。そこで私が当時借家住いをしていた、牛込の古びた家のニ階で行うことにした。
本人達を除くと、堀紘一夫妻、大久保利春夫妻、島田君のご母堂が集まり、結納のお祝いした。家庭料理の質素な宴席であった。

私は少し手が空いた時、こう伺った。
「伯父さん、なぜこんな事になったのですか。」利春氏の答えは明確であった。「馨さん実は、人には話をしていないのですが、私は途中でこの話は危ないと思い、桧山氏のところに行ったんです。私は桧山氏にきちんと経理担当の吉田副社長に相談しておいた方がよいのではないでしょうか。この提案は言下に退けられた。吉田は腹が細い、伊藤に相談しろ。」
後にこの事を堀田検事にお話した。堀田氏はもう検察を辞め、さわやか財団を作って活動されておられた。「大久保さんはその話は一切されませんでした。」
桧山さんを巻き込まないという、大久保氏さんの気持ちを垣間見ることができる。
その後孫ができ、その子の成長を楽しみにしながら余生をおくられた。
その後堀紘一さんとは、よくこの話をした。「二人で色々やってきたが、この話ほど、後味の良いものはないね。」

経歴一覧へ