政策
2016年1月7日
政策雑感(10)
今回は私の原子力に対する考え方を申し上げたい。いくつかの観点がある。
〇 エネルギ―政策の観点
- 楽観的な人はいつまでも石油はあり、また日本はその石油を自由に買うことのできる時代が続くことは確かだと思っている。そんなことはありえない。
1つは地下資源は有限であること。
2つ目には例えば中国等の大消費国がでてきて、将来は石油の取り合いになるであろうこと。いや天然ガスがある、シェール・オイルがあるとの主張はこれらの資源もまた有限であることを忘れている。 - エネルギーの世界的な消費量を増大させる要因は2つある。
1つは一人一人の生活水準が上がれば、エネルギー消費量は増える。
加えて世界の人口の増大は予想を超えるものであること。
エネルギーの消費増大なしに経済成長ができると論じる人がいるが、これは先進国の限られた領域で通じる話である。 - 回収可能なエネルギーとして風力。太陽発電。波力など色々取り上げるが、そんなに大量のものが供給はできないと考えられる。
要するにこれはすべて太陽から来るエネルギーの話をしているのである。量も価格も見通しのたたないもの、夢を語るのは良いが、これに惑わされてはいけない。 - すると可能性のあるのは原子力と核融合である。核融合は出来たらこんな有望な技術はない。しかしいつ完成するのかまったく見通しがたっていない。
- 原子力発電は従来の水炉と呼ばれるものの他に「高速増殖炉」がある。
水炉の現状についてはよく報道されているのでここでは詳しく述べない。 - 高速増殖炉という原子炉は、燃やした燃料を超える燃料が燃えかすの中に出来る。増え続けるという意味で「増殖」という言葉が使われている。どこが難しいか。
熱をだす炉心のサイズがとても小さい。小さいくせにたくさんの熱を出すので、それを取り除くのは水では足りない。熱をいっぱい運べる金属でないと熱を運べない。普通の金属は液体にするのは大変だ。
そこで選ばれたのは、ナトリウムという物質。ナトリウムと呼ばれている物質、塩を形成するものである。ナトリウムの扱いは難しい。
それは中学の実験で見た人も多いと思うが、水とよく反応する。急速な反応で爆発的でもある。
従って高速炉でナトリウムを使う時は水を完全に遮断しなければいけない。これが実は難しい。大気中にも水分はある、水に少しでも触れると危険なことになる。加えて温度が下がるとナトリウムは液体から固体になってしまう。
ですから「もんじゅ」は止めている今も温めていないといけない。 - 「もんじゅ」の管理の仕方が悪いと言う人がいるが、問題の本質はそんなところにはない。ことは高速増殖炉の研究をやるかどうか、続けるのかどうかという問題である。
私はかって原子力船「むつ」の廃船を主張し、そのことは何人かの議員と実現した。今世界で増殖炉の研究に取り組んでいるのは、「日本」だけと言っても言い過ぎではない。
ですから私は世界の将来を考える時日本は研究を断念するのではなく、継続することが国際的にも必要だと思っている。 - ここで重要なことを指摘しておきたい。
研究開発を途中でやめると、それを取り戻すのにものすごい時間がかかる。論文や資料が残れば良いと思う人は、技術は文章で伝わると思っているのだ。
一部は文書で伝わるが、技術は人がいないと伝わらない。高速炉の研究をやめるということは、専門家をチリチリバラバラにすることで、再結集は不可能になると思われる。みんなが原子力をいじめれば段々良い人が集まらなくなる。
それは原子炉の研究現場、製造現場でも言える話であるし運転現場には良い人を配置しないと安心できない。 - もう1つ国民の皆様にご理解いただきたいのは、「原子力発電所」を設計、製作する能力の問題です。
今ベトナムをはじめ幾つかの国で原子力発電所を作ろう日本もそこに輸出したいと思っています。
中国はインドネシアの鉄道建設にみられるように、なりふり構わず、原子力の分野にも進出しようとしています。
日本の原子力産業は今一体何をしているのでしょうか。
注文はこない、工場、人員、設備は遊んでいる。広い意味の技術の担い手はどんどん少なくなっています。
私は日本が積み上げて来た原子力の技術は世界的レベルにあり、是非とも輸出に生かし、かつまた将来に伝えることを考えるべきだと思います。基地の問題もそうですが、今のように国民全体の国策を地方の首長の意向のみで左右されるということが政治の在り方として本当に正しいのかどうか、よく吟味しなければならない時が来たと思ってます。
スイッチを押せば電気が灯るという時代を続けられるかどうかは、国民の理性に関わっています。