政策
2016年1月11日
政策雑感(11)
『世論と政治』
人は「政治は世論を重く考えろ」という。本当にそうだろうか。選挙を通じて議員に政治を任せたのにである。
昭和16年、日本が対米戦争に踏み切った時、世論はほぼ100%これを支持していたと思うし、また当時の言論も「よくやった」という基調であったと思う。
でも負けた。何故対米・対欧に戦争をしかけたのか。
やはり日本の中国大陸における行動が目にあまり、国際社会の中で孤立を深め、あいついで経済制裁を受け、追いつめられていった日本であったと思う。追いつめられると「底の浅い」ナショナリズムが火を噴く。世論は断固として戦えという。世の中、世界を客観的に見ることの出来る人々は沈黙してしまった。(世論が怖かった)
国民が反対したのに戦争をしたのではなく、苛められたと思った国民は「やれー」という気持ちになったのであろう。
私の父は戦争について次のことを私に言っていた。
- 多分政府の上層部はヨーロッパにおけるドイツの進軍ぶりをみて、ドイツが最終的には勝つと考えたのであろう。
- 「精神」「精神力」「神国日本」などということが高らかにうたわれていた。
欧米の現状を知らなすぎた。 - 喜んだのは米国のルーズベルト大統領、これで正面きってヨーロッパに出ていける。
私は今日本の抱える外交問題、例えば北方領土、対中、対韓問題はいずれも先の戦争の後始末であると考える。あの戦争は高くついた。人命も310万人も失われた。
政治家はリーダーであるから勿論世論に耳を傾けることは大事だが、「世論に流されては」いけないと思う。
小選挙区制になって、益々「選挙のため」という立脚点で政策が論じられる。これは将来の正しい結果を保証しているわけではない。
今私達が心配しなければならないのは「底の浅い、偏狭なナショナリズム」の高まりである。すでにヨーロッパでは仏でも、英国でも、また独でも極端な右の勢力が坮頭しはじめている。
米国のトランプ氏の発言もその分類に入るのではないかと思う。
日本が韓国と和解したことは良かった。韓国の政治家の立場も考えるという度量が日本に必要である。
対中、対ロ外交も安倍総理に期待するところは大きい。