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政策

2016年2月10日

政策雑感(13)

刑事法制に詳しい友人と昼食をともにする機会を得た。
私は彼に「これからは(取り調べ)の方法が変わるという事だが、どのポイントを押さえていればいいのか」という質問を投げかけた。
以下は彼の説明の要旨である。

〇可視化について
これから取り調べに録音・録画が導入される。
今まであることを立件するについて、自白を重点においてきた。自白偏重という批判はあったが、それにはそれの社会的背影がある。犯罪を犯した多分8割以上の人が「良心に痛み」を感じていると思う。そういう人は、自白の前は動揺・不眠・不安に苛まれる。
「懺悔」したいと考えているが相手がいない。欧米の場合は神に告白し、懺悔し、許しを祈る。しかし日本の場合「懺悔・告白」すべき神はいない。取り調べする人が必然的に対象となってしまう。そして自白という形で懺悔し、自分の良心の痛みの回復を図る。
従って「自白」中心という方法は日本の文化を背影にしていると考える。こういう人は服役中の行いもきちんとしているし、いわば真人間として社会復帰をする。しかし日本の社会の成熟とともに取り調べられる人の立場も考えざるを得なくなっている。全部録音・録画するのかといえば被疑者の言い分もあるし、どこを録音・録画するかというのはきちんと決めておいた方が良い。

また刑事事件の立件には昔と違った新しい方法がある。
例えば、1.防犯ビデオ 2.DNA鑑定 3.インターネット 4.通信傍受等であり、また裁判員裁判では素人の一般国民に判りやすい証拠提示が求められる。
はっきりしているのは通信傍受法の対象犯罪に、例えば「誘拐」などは入れなければならない。

そこでもう一つの問題は「司法取引」という考えである。
日本の精神文化の上から「人を売って自分の罪を軽くしよう」という制度は受け入れられないだろう。司法取引が許されるのはより大きな正義を実現するためである。
例えば米国で「エンロン」事件というものがあった。関係者は120人に及んだが起訴されたのは3人だけであった。本当の責任者を司法取引で割り出していったのである。日本の司法取引はどうなるのであろう。今刑法の中で収賄側5年贈賄側3年という時効が決められている。贈賄側は自分の起訴のリスクなしに供述をする。共犯者の自白するとどうなるか。
そんな事を録音・録画されては命の危険さえある。従って彼の結論は

  1. 録音・録画は避けがたい現実である。
  2. 立件の手法をもっと拡充すべきである。
  3. 司法取引はやはり日本人が持っている特有の文化や価値観にあっているものとすべきである。

「私の感想」

  1. 今日本で刑務所に入っている人は7〜8万人である。米国は人口は日本の約2倍であるが、服役者は200万人を超えている。簡単な比率でいえば7万人対100万人であり、日本の刑法犯は随分低い。
  2. 冤罪や誤判率は極めて少ない。
  3. 私が心配しているのは、例えば「覚醒剤」の社会的蔓延である。売人は決してどこから仕入れたかは言わない。命の危険があるからである。より大きな正義の実現からは「不起訴」という司法取引は是認されるべきであろう。
  4. 録音・録画が被疑者側に一方的に有利になると考えがちであるが、裁判員裁判では自白の任意性などの点からいえば、起訴側の立場も十分に守られる。
  5. チンピラなどを捕まえた場合少しは大声でせめないと自白をしないのではないかと心配している。やさしい説得調の「調べ」で、このしたたかな連中はどうなるのか、これが録音・録画のリスクである。調べには「駆け引き」「脅し」「説得」等々いろいろなテクニックが必要であると思っている。 

以上

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